どうも、風呂上がった後に大きい方が催すとなんか損した気分になるス様です。
芸術 アート 美術 表現方法は自由で自分の思うままに表現すればいいと思う。
自分の思うように表現出来ない苦労もいいと思う。
私は写真を専攻しているカメラマンです
写真とは 写す真実 その時その瞬間を映し出すと言うか切り出すと言うか、写真って凄いと思う。
写真を撮って確認した時点で過去が映し出されている事になる。
写真の何が凄いかと言うと、個人的な意見というか解釈ではあるのですが、写真を見た瞬間その時の事を色々思い出す事が出来たり、語り合えたり、笑え合えたり、時に悲しくなったり、愛おしくなったり、会いたくなったり、恋をしたり様々な事がおこる。
スピード違反のオービス(自動取締機)も写真で違反が確認され罰金。
その他スピードカメラだと、写真判定でその瞬間の写真で色々決まる。
そんな写真は現代ではスマホで簡単に撮影出来る。一昔前はガラケーでコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)を持ってる人も多かった。もっと昔だと使い捨てカメラ、写ルンですなど持っていて、撮り終わったら現像して、現像が終わるまでどんな写真が取れてるか楽しみで、現像さてた写真を見て笑いあったり焼きまし頼んだり、ポスカで写真に落書きしたり、コルクボード貼ったりなどなど
時代に応じて写真の楽しみ方や使い方など様々で時代と共に進化していると思う
今では色々当たり前になってるけど、私が高校1年の終わり位2000年位に携帯でインターネットが!!!!ドコモのiモードが出きその数年後に携帯にカメラが搭載され、J-PHONEかVodafone忘れたけど外付けで付けれるフラッシュ付きガラケーが販売されたりと色々あった。
そんな写真の進化と共に写真と触れ合ってきた私は思う。写真で誰かに何かを伝えるのは難しい。
その場に居合わせた人なら共感出来るだろう。だが、その場に居合わせなかった人に写真で状況など伝えるのは難しい。
最近ライブ写真をよく撮影するけど、その場に居たファンの方々や出演していた演者の方は共感したり、あの曲の時の写真だ!MCの時の写真だ!となるだろう
そのライブの楽しさや躍動感を写真で納め他の人に伝える事が出来るのか否か
私は、自分が撮影したいと思うから撮影する、メンバーに喜んで貰える写真を撮影する、ファンの方々に喜んで頂ける写真を撮影するのが本心
私が撮影した写真は特定の人含め不特定多数の人の為に撮影している写真となる。
特定の人の為に撮影した写真がSNS等にUPした瞬間不特定多数の人の為に撮影した写真と言えるでしょう
写真家やカメラマンは公的な資格がある訳では無いから誰でも名乗れると言えば名乗れる。仕事になるかは別として。
今のカメラの性能を考えると誰でも簡単に綺麗な写真が撮れると言える部分がある。
そのカメラの機能や性能を使いこなし、自分の感性や画角など様々な事が混ざり作品ができあがる
十人十色と言う言葉があるように、必ずしも写真が評価されるとは限らないし、自分が微妙と思った写真が評価される場合もある。
写真を通じて思うのが、男性目線と女性目線で写真の感性が違う。
男性目線でいいと思った写真が女性目線では違うとなったり、女性目線でいいと思った写真が男性目線では違うとなったりする事もある
そして最近思うのが、ライブ写真を撮影していて、画角やライティングや構図など様々な条件が重なり、アートな写真が撮影出来る時がある(自画自賛)
ミコトちゃんTwitter
このライブ写真と言えばライブ写真、アートと言うか幻想的と言うか何と言って良いか分からないけど色々重なり撮影出来た作品と思います。
これもライブ中の一瞬を撮影し写真に収めた事で表す事の出来た作品で、ライブに行ってカメラを構えるからこそ実現する1枚だと思います
アサギちゃんTwitter
この何とも言えない表情で画角構図共に素晴らしいと思う。
ライブ写真を撮影する上で可愛く撮りたいカッコよく撮りたいと思う
ステージ上で輝く姿を撮影出来た事により満足(自己満足)する事もある。
ライブ写真は、動くし明るさなど様々で撮影するのは結構大変な中、いかに撮影するか。 アートと言うか芸術と言うか表現は難しいし奥が深い
そんな感じで写真で誰かに何かを伝えるのは難しいけど、私が撮影した写真でライブに行ってみたいと思う人や私の写真を見て興味を持ちライブに来た!と言う人が現れるそんな写真を撮影したいと思います。
写真で誰かに何かを伝えるのは難しいけど、その域に達するのが目標と考えます
写真とは奥が深く、表現方法も様々でまだまだ伸びる世界だと思う
最後に個人的な意見だけど、最近の加工し過ぎで原型の無い写真は写真とは言えない気がする。加工無く盛れた写真ならまだしも。
写真家かからすると、加工は写真見たらわかるし、プリントしたらもっと分かる
その辺は良く分からない世界だと思います